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YU SAKAMOTO

経歴
CAREER
15歳で右腕に障害を負い、入院先の兵庫医科大学にて元ビーイング・矢嶋氏と出会う。その頃、入院中にやることもなく書いていた詩を読んだ矢島氏が詩を絶賛。上京する。矢嶋氏のもと、四人囃子の岡井氏、現・エレックレコードの西原社長、フジパシフィックの岩崎氏、元DEENの中居氏、演歌界の鈴木代表、元ジャニーズ事務所アイドル・音楽プロデューサーで芸能事務所オフィスタッチの長田社長、尾崎豊に携わった元三井物産・キッズステーション社長・京都FM専務でイベントプロデューサーの故・田中聡氏、ミリオンヒットを飛ばしたビジュアル系バンドに携わった元ユニマットグループ・音楽プロデューサーの故・岩見氏などと、音楽芸能業界のマネージメント及び企画・制作を経験する。その過程で当時も芸能プロモーターの錚々たる方々と場を共有させて頂く経験をする。
先輩から一般常識及び知見・経験を学びなさいとの助言を受け、東京障害者職業能力開発校に入寮。新卒社員と同時期に、障害者枠でクレジットカード事業の一部上場企業に入社。並行して米国のニューヨークを行き来しながらネットビジネスに携わり、海外への移住を企てるが挫折し、ニート生活を送る。
株式会社カスタマーリレーションテレマーケティングにて、NTTフレッツ光のテレマーケティングを半年。業務委託でKDDI商材を訪問販売し、株式会社リクルートスタッフィングから派遣としてeo光商材を訪問販売する。
2012年2月、株式会社ブロード・プランニングにて最難関受験個別塾の立ち上げから関わる。それから8年、現在も受験指導以外の集客・運営全般を担い、日本一の合格実績を誇る個人塾運営・集客に携わる。
2020年3月4日、Facebookで発見した大東ビジネス創造センターD-Biz(ディービズ)を活用して、自己資金でネットフェニックス合同会社を設立する。

代表メッセージ
MESSAGE
今、世界中でテクノロジーによる社会、産業、ライフスタイルの変革が起こっていませんか?
パソコンやスマートフォン以外にも、多種多様なデバイスが次々に生まれ、全てのものがインターネットにつながり、爆発的にデータが増え続けています。現代人が1日に受け取る情報量は、江戸時代の1年分に相当するとも言われています。
そんな時代だからこそ、パソコンひとつ、スマホひとつで事業が生まれています。
弊社は大阪府大東市から、ITサービスを使ってより良いサービスを提供していきます。

ホームページ制作との出会い
TRIGGER
私がホームページの制作・運営、つまりマーケティングに初めて関わることになったのは、17歳の頃でした。
アーティストの非公認ファンサイトを制作・運営されていた京都の土屋さんとアポイントを取り、京都のグランヴィアホテルのラウンジで、当時、三井物産社員兼キッズステーション社長兼音楽プロデューサーだった田中聡さんと一緒にお会いしたことがきっかけです。
それから私は土屋さんよりパソコンを1から教わり、ホームページ制作方法も土屋さんより教えて頂きました。土屋さんは元々NECの方で、本当にインターネットの力・集客力・宣伝力というものを教えて下さいました。
これが私のインターネット、ホームページとの出会いであり、ブログというツールとの出会いでもありました。

ホームページに対する考え方
THINKING
ありふれた、当たり障りのないホームページは、実は誰にも見向きもされません。
サイバーエージェントの藤田社長が著書でこう言っていました。
ウェブサイトでありふれたものはユーザーには見向きもされないのに、ネットには、なぜこれほど凡庸なサイトがあふれているのでしょうか? それはネットを使えば、ほとんど何でも出来てしまうからです。
最初は、何かに特化するつもりだったサイトの作り手が、作っているうちに、いろいろ出来ることに気が付く。あれもこれもと要素を詰め込むうちに構想が膨らみ、ユーザーが他のサイトも見ることが出来る状態にあることを忘れてしまう。
そして最終的には「○○の総合ポータルサイトにしよう!」と言い出すのです。
そんなケースを過去に何度見たかわかりません。しかしそのサイトが理想どおりいくことはまずないでしょう。
ユーザーはクリックひとつでネット上どこへでも飛べるのに、そのサイトに居続けなければならない理由はないからです。
ネットでは既存のものよりも際立って優れているか、まだ誰も提供していないものでなければ存在意義がありません。僕は〝最高〟か〝最速〟しか生き残れないと思っています。
見城徹,藤田晋.『憂鬱でなければ、仕事じゃない』 『絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ』